昨日の続きになるが、3傑に加えて上杉謙信、武田信玄この5人が最も有名な戦国武将だろう。昨年の大河ドラマによって前田利家を加えていいかもしれない。

がしかしご存知のように歴史というのは勝者の言葉である。負けた側は悪く間違って書かれるのが必定なのだ。例えば一昨年「政界のプリンス」と呼ばれた加藤紘一氏が「加藤の乱」を起こした。敗れた彼の凋落振りは今さら語るまでもないが、「総理に最も近い男」がいまは議員ですらないのだ。

同様に私は二人の武将に大変興味がある。明智光秀と石田三成だ。石田三成については何の好感も持ってはいない。彼は伝えられている全ての文献が語るように能力はあったのだろう。しかし人をまとめる能力に関しては皆無だったようだ。人数の上では勝っていた関ヶ原の合戦もたった1日で負けてしまうほどなのだから。

しかし能力はあるが傲慢で生意気な三成とは逆に明智光秀に関しては私は大方の人の持つ彼のイメージは全く間違っていると思っている。彼は信長を暗殺した卑怯者で、あっさり秀吉にやられた情けない武将だと思われている方が多いだろう。

彼は別に信長にいじめられたから謀反を起こしたのではない。彼はたまたま組む相手が悪かったのだ。知られていないことだが、彼は信長を誅殺したあと朝廷より征夷大将軍の地位を送られている。

例えは悪いが忠臣蔵とよく似ている。光秀は吉良上野介でお上より認められた存在。秀吉は赤穂浪士と同じく亡き主君信長の敵を討ったのだ。ところが秀吉は赤穂浪士よりも兵を多くもっており世論の味方も得られたのだ。赤穂浪士も世論の味方はあったが、あのころはもう世間の仕組みがきっちりしていたのだ。

光秀は室町幕府の十五代将軍足利義昭や丹後の細川氏、土佐の長宗我部氏らと結んでいたが彼らに根性がなかったのか、びびったのか、本当に信長を討つとは思っていなかったのかとにかく光秀を見捨てたのだ。

これが真相だとはいわないが、どうやらこちらの方が真実には近いようだ。で、私の興味が湧いてくる。彼は兵法にも長けており、名門の出で、人心掌握も優れていたようだ。この点では三成とは大違いだ。なのに負けた。

運がなかっただけなのだろうか?因みに明智家も私の家も同じく家紋が桔梗なのである。

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