という記事を読まれた方も多いと思うが、私にとっても少なからず衝撃であった。単純に私が負けているとかの話ではなく、女子高生が純文学の登竜門である芥川賞の候補というところがミソであった。

若い作家向けの文学賞というのはそれほど星の数程ある。しかし芥川賞といえば純文学の賞としては最高権威のものだろう。その候補に女子高生が…。

私は決して女子(この際女子は外してもいいかもしれないが)高生が純文学を書けないとはいわない。特に多感なティーンエイジャーは「何を書くか」ということさえはっきりしていればいい物語が書けると思う。

物事に対する感動や感激は絶対的に瑞々しい感性が必要で、こればかりは想像や空想で書けないと思うのだ。イヤ、書けるとは思うがそんな嘘はすぐに読んでいる方にばれてしまう。その意味では精神の振幅が激しく、想像力がたくましく、世間知らずである若い頃というのはヴィヴィッドな文章が書けること請け合いである。

とはいえ、その点においては最早どうしようもなくかなわないのかもしれないが、文章力、表現力、構成力、物語力なんてものは技術の分野であってこれを磨くには世界の、日本の名作文学を徹底的に読んで引き出しをいっぱい用意しておく必要があるはずだ。

その点で今日のニュースは私を驚かせるのだ。

繰り返すが、高校生にはしっかりした文作技術が備わってはいないとはいわない。プロ野球選手と高校球児、Jリーガーと高校サッカー球児のように、明確な差は文章を書くということにおいてはないと考えられる。

しかし、百戦錬磨の審査員を唸らせる程のものを書く女子高生となるとそれはどんなものなのだろうと興味と共に驚きを禁じ得ないのだ。

口幅ったいようだが、私が思うに小説を書くということは、第一に「完成させる」という執念が必要だ。これは魚を釣るのに似ていて、ただ釣り糸をたれているだけでも愉しいし、魚と格闘しているだけでも愉しい。しかし釣り上げないと姿を見ることはできない。

小説も同様で、絶対に面白いと思われるネタを考えるのはそれだけで愉しい。しかし完成させないと読むことは出来ない。私に限らず「未完の大作」というのは良く聞く話だ。

その女子高生は既にいくつかの賞を受けているようだ。機会があれば読んでみようと思う。

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