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NO TIMES

~ 指揮者、大学院生、囲碁将棋、時々尺八

NO TIMES

月別アーカイブ: 4月 2003

終末思想

30 水曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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終末思想というのは今に始まったことではないが、ニュースを賑わしている白装束の集団はどうやら来月で人類の90%が死亡するなどといっているようだ。詳しいことをホームページで調べようと思ったのだが、つながらなかった。

第10惑星がどうとか、スカラー波とか電磁波とか宇宙と科学を絡めてさも尤もらしいことをいっているようだが、こうした思想は彗星が来るたびにいわれていることだし、世紀末になれば、つまり100年ごとに誰かが「人類は滅びる」といっている。

いうのは勝手だし、何を信じても構わないが、どうしてこんなに手垢の付いた焼き直しに何度も引っかかるのだろう。思想だから引っかかるというのはおかしいが、どうしてそんなことを信じることが出来るのだろう。

まぁ今回の騒動に関しては、電磁波がどうこういいながら車を使ったりしているところからも分かるように、大した根拠のあるものではないし、元々、わけの分からない輩が徒党を組むところに終末思想の終末たる所以があるのかもしれない。

尤も、公道を占拠しているという実害があるのは問題だが、あれはやはり、歪んだ現代社会の仕組みを端的に現しているような気がする。つまりやったもん勝ちなのだ。あれが独裁国家や共産国家なら、アッという間に軍隊の出動で、下手をすればその場で射殺されても文句は言えないだろう。

日本という国は、なるほど「ゆるゆる」の「ぬるい」国なのだ。あんな無法を行っているのだから、ブルドーザーでも持っていって強制退去させればいいのだし、もし立ちはだかるのならそれこそ殺してしまえばいいのだ。

昔公民の時間に習ったが、自由というのは一定の社会規制の上に存在し、責任が伴うものなのだ。法の執行に時間がかかり、日本という国が強制執行をためらう国であることに付け込んでやったもん勝ちの無法がまかり通るなら、誰も秩序など守らなくなる。

一番怖いのはこうした行為が報道されることにより、模倣するもの、尻馬に乗るものが増えることだ。彼らが断固たる処分を受ければいい抑止力になるのだが、現状では単に愉快犯的にああした行為が増えるのではないだろうか。

数ヶ月前に韓国で地下鉄の放火があったが、確かあの犯人は「一人で死ぬのがイヤだ」とかいってなかったろうか?

終末思想は結構だが、死ぬなら一人でひっそりと死んで欲しいものだ。

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言葉の変遷

30 水曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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私は中学生の頃くらいから「日本語」に興味があり、敏感であった。例えば一般にいわれている以上に「私は」と「私が」の文法的違いについて考えてみたり、中学生くらいが適当に覚えている日本語が大変気になり、誰彼構わず指摘して一人悦に入っていた。

「うろ覚え」を「うる覚え」と発音する子供は多くて、こうした間違いは耳で音だけから言葉を覚えるからで、如何に読書が大切かということを思い知らされた。ところが、実はこうした間違いが正しい読み方になるということも実際にはあり、「独壇場」は多くの人が「どくだんじょう」と読むと思うが、これは元々「独擅場」と書き「どくせんじょう」の誤読から漢字が変化したのだ。

また、私の友人の中には「ほとんど」を「ほどんと」と発音する人がいて、私は長い間音が変化した間違いなのだと思っていたが、文章でもそう書く人がいて調べてみると方言なのだそうだ。

上で、読書つまり、文字を使うことが言葉を習得する上で大切だと指摘したが、最近驚くのはネット上でこうした日本語の変種が多数見られることだ。

ネット専用の用語というのがあって、これはインターネットが普及する前のパソコン通信の時代から様々あったようで、主に文字数の省略のためであったり、仲間内だけの符丁であったりする。いまでも「にちゃんねる」にいけば、自慢気に「にちゃん用語」を使っている人を多数見かけるし、それをネット上の公用語だと勘違いして他の掲示板やチャットで使う人も少なくはない。

驚くのはそれを実生活で使う若い人がいることだ。以前の私ならそれは日本語の乱れだと嘆いていたのだが、最近ではそうして日本語は変化していくのだな、とその変化に耐えていく言葉というのを注意してみていこうと思っている。

私の最注目は「一応」という単語だ。これは「一応」と書くし、そう読む。しかし「いちよー」と発音する人は多く、そのまま書く人もチラホラ見かけるのだ。ichioと発音するので最後のiとoの間にyという半母音が入り、母音の衝突を避け、発音しやすくしているのは理解出来る。母音の衝突を避けるのは多くの言語に見られるから、私はこの単語は数十年後には「いちよー」が普通になるのではと睨んでいる。

私は今ではこうした変化を否定はしない、漢字の音読みは中国のものだが、音読みの日本語化もあってしかるべきだと思うからだ。

但し、私はそうは発音しないし、書かないが。

給与の未払い

29 火曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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参ったよ。4月分の給与が振り込まれていない。私はあんまり人の悪口(特に公人でない場合)をいうのはイヤだし、いうなら本人にと思っていたので、退職の経緯についてはどこにも書いてこなかった。

契約終了による退職ということになっているが、実際は社長と折り合いが悪かったということになる。何しろ2人だけの会社だ、折り合いが悪ければ居づらくもなる。私は例え相手が誰であろうとも、言った方がいい場合にはなんでも言う。ここでは細かい事例は書かないし、私の側だけの一方的な書きようでは公平さを欠くというものだろう。

とにかく2人だけの会社というのはやりづらいものだ。特に相手がパートナーとしてではなく、召使いと考えている場合には、だ。面白いのは彼はことあるごとに私の首根っこを押さえていたくせに「もっと積極的に働け」というのだ。

何かを提案するとそれは否定するくせに、積極的も何もないだろう。しかし、そういう人は多い(いままで私の上司にいなかったのが不思議なくらいだ)。だから理解出来る。問題なのは自分に非があった時に謝らない人であったということだ。

ワンマンで威張りんぼで独裁者なのは構わないが、どんな人間でも自分に非があれば謝るべきだ。それが出来ない人なのだからそれは人間のクズだと言わざるをえないだろう。

退社間際に「二度と顔も見たくない」などと暴言を書いたメールを送ってきた(子供っぽいでしょ)。見たくないなら最後まできちんとすればいいものを。少々のお金をケチったために、私と再び関わりを持つことになるのだ。一体に頭の悪い人だということがこれでわかる(笑)。

もしかするとこのことで裁判をするかもしれない。もちろんそれまでに彼が支払ってくれれば、私としても彼と関わるのはうんこを踏むような思いなので、出来れば避けたい。しかし法治国家に住んでいながら遵法意識の薄い、そしてそれでいいと思っているような経営者がのさばっていることには我慢が出来ない。

よくよく波乱の人生だな。と自分でも思う。今回のことに関しても「ほら見たことか、友達と会社をやると金のことで揉めるといったろう」という人が何人かいると思う。私は誘われた側なので、見る目がなかったのは彼の方ということになるが。

これからどうなるか分からないが、人間のクズを友人だと思っていたのだから、恥ずかしいものだ。

松本城攻略戦

28 月曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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本日は松本市内観光。といっても松本城を見るということになる。私は特に城郭研究家というわけではないが、日本の城は好きで機会を見ては足を運ぶようにしている。五稜郭、弘前城、青葉城祉、赤塚城祉、江戸城、駿府城、名古屋城(遠くから)、大垣城(遠くから)、大阪城(遠くから)、高知城、そして広島城。

低能な薩摩長州の明治政府が考えなしで城を破壊したおかげでほとんどの城では建物が残っていない。せいぜいお堀があるくらいで、本丸が残っていればいい方、大阪城のようにあとから作られたものがあるというのは本当にありがたいことだ。

因みに赤塚城はご存じない方が多いだろう。私が長い間住んでいた成増にあったお城の跡で、列記した城の中ではダントツに規模が小さい。下手をするとちょっと田舎のお金持ちの家よりも小さいくらいだ。

ということで、今日は松本城。この城は場所的にも歴史的にも大変意味のある城で、築城は丁度関ヶ原の合戦の頃だ。既に武田氏は滅亡しており、この地は越後の上杉氏や北国勢を睨む要衝の地であったはずだ。

そこで秀吉は築城の名人である石川数正をこの地によこし、強固な要塞を築いたのだ。松本城は烏城とも呼ばれ黒い板で覆われていることが特徴的だ。

松本市は昨日行った長野市同様非常に美しい街で、また、周りを北アルプスなど山に囲まれているために大変に眺めがいい。天気が良かったこともあり、こうした自然の中ににょっきりとそびえ立つ漆黒の天守閣は雄壮でもあり、また威圧的でもあった。

広島城のように天守閣の一部が残っている城と違い、松本城は5層6階の天守閣が全て残っている。中に入って驚くのは階段の急勾配と狭さだ。観光で来ていたじいさんばあさん、ミニスカートの姉ちゃん達を拒絶するようにもの凄いことになっていた。

しかし私はこうした険しさがやはり「要塞なのだな」と400年前に思いを致す良きよすがとなった。喰うか喰われるか、殺るか殺られるかという殺伐とした雰囲気が、優雅な外見とは裏腹に内部には満ちあふれていた。

本当に優れた武道家は普段は物静かな印象を与えると聞いたことがあるが、まさにこの城はそんな雰囲気で、中に入ると抜き身の刃のギラギラした殺気を感じた。恐らく多くの観光客はそんなことを感じることなく天守からの眺めを楽しんでいただけだろう。

平和っていいな。私は暫し武士になった気分で最上層に腰を下ろし雰囲気を楽しんだ。

牛に引かれて善光寺参り

27 日曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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嫁の父親が昨年末より長野県は松本に単身赴任をしている。ゴールデンウィークなので遊びに来いというので、昨晩より長野に来ている。スキー以外で長野に来るというのは軽井沢を除けば始めてのことだ。

ということで1日目の観光に長野市まで出向き、善光寺へ行った。善光寺ではご本尊を七年に一度御開帳するということで、今年がその年なのだ。詳しい解説はhttp://www.gokaicho.com/で読んでもらうとして、とにかく善光寺まで行った。

私的には途中にあった川中島で武田信玄と上杉謙信の合戦場とか、田中知事のいる県庁舎の方に興味があったのだが、とにかく善光寺である。

私が神社仏閣には特別の畏怖心を持っていることは以前書いた。宗教というものに対して尊敬の念を持っているからだ。今回の善光寺詣では本当に参拝しようと思ったのではなく、あくまで観光のつもりで行ったのだ。

長野駅からそぞろ歩き、門をくぐり本殿近くまで行くと黒山の人だかりであった。坊さんと稚児さんの行列があり、その列のハイライトは籠に乗った坊さんであった。顔は見えなかったが、ありがたい感じがした。実際は列の途中に雅楽隊がいて目の前で笙や篳篥の音を聞くことが出来たことの方が感動した。

その後本殿前に立てられた「回向柱」に挑戦した。回向柱についても上記サイトで勉強してもらうとして、その回向柱に触ると御利益があるとのことで、もの凄い人だかりが出来た。朝の山手線もかくやという押し合いへし合いの中、嫁も私も無事に触ることが出来た。

結構すごいもみ合いではあったが、5年間のサッカーワールドカップフランス大会の観戦のため新宿ミラノ座前広場での押し合いに比べたら屁みたいなものだった。

その後本殿に入り、約1時間並んでご本尊を拝んできた。善光寺は宗派に関係なく健康に関するお寺のようだが、もちろん今の私にとって健康よりも緊急のお願い事があり、とにかく私の努力を見ていて欲しいとだけ願ってきた。

長野市の街並みはとても美しく、空気も美味しくとてもいい街だった。いままでそれほど全国歩き回ったわけではないが、それでも東日本のほとんどの県庁所在地と九州以外の西日本の大きな街をいくつか見てきた中で、住んでみたい街として長野市は急浮上した。

帝国主義の行方

25 金曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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イラクのサダム・フセインというのは用心深い割には楽観主義者だったようで、クウェート侵攻時も国連からの攻撃はないと読んでいたようだし、今回のアメリカの圧力も最終的には国連の場で緩和されると考えていたようだ。

しかし、結果として彼の政権は崩壊し、現段階で彼も爆死したと伝えられる。目を転じて今度は北朝鮮だ。私はイラク戦争が始まってから北朝鮮は忘れ去られるだろうな、と思っていた。アメリカにとってそれほど強敵ではないし、叩いても利益が少ないからだ。

ところが北朝鮮は過剰反応してしまった。自分がそれほど重要人物だと思っているのか、ミサイル実験をジャンジャン行い、刺激しなくていいアメリカを逆にドンドン刺激してしまったのだ。北朝鮮はチキンゲームのつもりで、NPT脱退とか保てるカードを切りだしたが、実際のところもしアメリカが本気になれば北朝鮮という小さな国はイラクにかかった3週間以下の短期で壊滅するだろう。

そのことが分からないのか、それともやりようによっては勝ち目があると考えているのか、北朝鮮はいままで通りのやり方で外交を行っている。

ユーゴスラビアのコソボ自治区、アフガニスタン、イラクの例をひくまでもなく、外交の有り様はここ21世紀に至り大きく変わったのだ。つまり、血を流さない、お高く止まったエリート外交官の騙し合いによって国々のバランスをとる時代は過ぎ去ったのだ。

私は決してそれを肯定はしないが、世界は退化して再び力による支配の時代を迎えたのだ。ジュリアス・シーザーの古代ローマ帝国やその後の西ローマ帝国、中近東を長く支配したオスマントルコ、チンギスハーンのモンゴル、ナポレオンのヨーロッパ帝国、海洋王国イギリスの日の沈まぬ帝国。

そしてアメリカ合衆国による帝国支配が始まろうとしている。私はそれが悪いことなのかいいことなのか分からないが、とにかくいま、北朝鮮という身近なところで戦火がくすぶっている。

核兵器保有の示唆は確からしさからいって驚くべきことではないだろう。今ごろ驚いているマスコミの低い見識には呆れるが、とにかく、それを公表したことで、北朝鮮は生き延びたいという自らの望みがだんだん細くなっていくことをこれから感じるだろう。

勝ち目のない相手と闘うのは愚か者がすることだ。もちろんだからといって強いものが勝つ世界では困る。結局歴史の流れに竿はさせないということなのだろうか。

死刑制度と極刑

24 木曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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私は死刑制度には反対である。人が人の命を奪うというのを制度化するというのはどうにも納得出来ないのだ。しかし私はとにかく法を遵守する人間なので、日本の法律での極刑が死刑ならば、松本智津夫は当然死刑だろう。

ネットで見たところオウム真理教の一連の事件での死亡者は現在のところ27人だそうだ。しかし残念ながら松本は一人しかおらず、27回殺すことが出来ない。結局松本は自分では償いきれないほどの罪を犯したのだ。

ところで、その松本の裁判にかかった費用が現時点で4億いくらだそうだ。裁判全体の費用でソロバンすると10億にも届こうという数字らしい。どうしてこれが税金から払われるのか、全く憤懣やるかたなしである。

私は最近思うのだが、犯罪者の人権というのはもちろん刑が確定するまでは守られるべきだろう。しかし確定されてからも守られすぎなのではないだろうか?どういう事かというと、例えば殺人事件で被害者は既に死亡しており、人権を主張どころか生きてさえいないのだ、そして往々にして死者はさらし者である。それに引き替え殺した方は人権という二文字を盾に、冷暖房付きの刑務所でのうのうと生きながらえる。

殺人者でなくても例えば、婦女暴行犯でもいい。被害者の人権はもの凄く踏みにじられるわけだ、なのに加害者の人権は法律できっちり守られる。これは不公平というものだろう。

私は加害者の人権は段階的に守られるべきだと思うし、例えば殺人者の人権は守る必要がないのではないかとさえ思うのだ。人の人権を奪ったのだから、自分の人権について云々する筋ではないだろう。

いや、決して言い過ぎではない。

数日前に書いたように私は死はそれほどネガティブに捉えていない。むしろ重罪犯は生きて生き地獄を味わわせるべきだと思うのだ。もちろんそこに税金の投入はしない。自分の食い扶持は当然自分で稼いでもらう。

強制労働で重労働をしてもらうのがいいだろう。意味もなく苦痛を与えるようなことはしてはいけないかも知れないが、公共のために働かせるというのはありだろう。

最初に書いたように私は死刑制度は反対である。そして極刑が死刑では手ぬるい場合もあると思う。これからこうした従来の刑では裁ききれない犯罪が増えるだろう。法制度の不備を今さら嘆くものではないが、現代は法律により秩序が保たれているように感じるが、私はむしろ法律のある無法状態のような気がして仕方がない。

責任の取り方

23 水曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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特に最近ちょんまげを切った男のことを念頭に置いているわけではないが、責任の取り方ということについては確かにその男の言うように「辞めれば済むわけではない」と私も思う。

例えば、ということでその話したくもないちょんまげ男を例にして話を進める。彼がその職にとどまり良い仕事をすればいいということを私は言いたいのではないことは最初に言っておきたい。何しろ彼はミスをしたのではなくてやってはいけない不正を働いたのだ。はっきり言えば辞めて当然だとさえ思っている。

しかし、責任の取り方という意味では必ずしも辞めればいいというものではないだろう。まずは、当然給与停止、全ての議員特権は剥奪。その上で公共に奉仕するというのが筋ではないだろうか。むしろ役職停止ではなくて、無給で役職(但し「長」ではない)に就かせて働かせるべきだろう。

元々辞めてチャラにするというのは武士の切腹辺りが元祖なのだと思うのだが、切腹は即ち死だ。その重みは全然違う。因みにご存知の方も多いと思うが、どうも「武士道」というのは江戸期から明治期にかけて曲がって伝えられたらしいのだ。

私は日本の戦国史が好きで多くの武将について本を読んだりしているが、戦国期の武将は平気で寝返ったり、逃げたり、非常にソロバンずくで身の振り方を考える。たくさんの家臣を抱えていればいるほど「潔さ」からは遠く離れ「より実務的」になるのだ。

つまり「武士は喰わねど高楊枝」というのは一見格好良いが、真実は「花より団子」なのだ。武士道といえばすっかり浮世離れしたもの、というのが現代では定着しているが、実際は非常に現実的でむしろ現代でいえば金融ビジネスマンのイメージに近いのではないか?

ちょっと話しが脇に逸れたが、辞めれば終わり、死ねば終わりというのは責任の取り方にならないといいたいのだ。特に国会議員のように公僕ならば公共のために特権抜きで働くべきだろう。

最後にちょっと論旨がずれるが、明日は松本智津夫に論告求刑が行われる。彼の場合は極刑が相当だから死刑は免れないだろう。彼の場合も死ねば終わりだとは誰も思わないが、少なくとも税金を使って生かしておくのも愚挙だろう。

パン屋

23 水曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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10日ほど前から嫁がパン屋でバイトを始めた。私は日常的に料理をするが料理人になろうと思ったことは一度もない。しかしパン屋というのにはずっと興味があった。

私はご飯党で本筋的にはパンはそれほど好きではない。好きではないからかもしれないがパンを焼いたりとかドーナツを揚げたりとか、パイを焼いたりして暮らしてもいいなぁなどと思うことがたまにある。

実際に一歩前に足が出ないのは、パン屋の拘束時間の長さだ。もちろん自分で商売を始めるのだから拘束時間がなんのといっている余裕はないが、パン屋の仕込みの大変さというのはやったことがなくても容易に想像出来る。

普段私が食事の支度をしても1時間で準備をしても、食べるのは10分だ(笑)。作るのが好きだから苦にはならないが、料理が嫌いな人にとっては苦行以外の何ものでもないだろう。

パン屋もまず開店する前の仕込みに時間がかかる。豆腐屋が朝早いことは知られているが、パン屋もなかなかに早起きだ。嫁のシフトは通常開店の9時からだが、今日は7時からだった。まるで警備員も真っ青の出勤時間だ。

因みに職人さんは5時くらいから働いているそうだ。警備員をやって早起きには慣れたとはいえ、冬場の早起きは確かに辛い。しかもパン屋を開くとなるとそれが延々と続くわけだ。まさに修行の毎日だ。

以前にも書いたように私は職人のように毎日同じものを作るというのは実はちょっと苦手だ。「ぢゃ、パン屋はダメだね」と嫁に言われたが、私の中ではちょっと違う。天気によってイースト菌の配合を変えたり、生地の硬さを変える必要があるだろうし、曜日によっても客筋を読む必要があるだろう。

そういう点には興味がもてるので、私は同じメニューを作る料理人よりもパン屋に惹かれるのだと自分では理解している。もちろん食物を扱う仕事であれば、季節により食材が変わるのでそういう点では変化があるとも言える。どちらにしても端から見れば大した違いではないことは私も重々承知している。

面白いものでこうした小さなこだわりというのは私に限らず多くの人が持っている。門外漢にとってはソバ屋もうどん屋も違いがないかもしれないが、こだわりを持っている人にとってはパンとご飯ほど違うものだろう。

私が現実にパン屋になるかどうかは分からないが、私はきっとこの先も小さなこだわりを持って生きていくのだなぁ、と思う。

突然の訪問

21 月曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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高校時代の友人が突然尋ねてきた。彼もこちらに住んではいるが、なかなか会う機会に恵まれず数年に一度会うか会わないかの間だ。

彼とは特に何か趣味が合うわけではないし、お互いに何か必要があって付き合っているわけでなく、何か波長が合うというか、不思議な連帯感があるというか、どんなに連絡がなくても、高校時代と同じように話が出来る。

飾る必要もないし、作る必要もない。お互いのいいところも悪いところも分かっているし、基本的に馬鹿話に終始する空気がいいのだ。

3月に久しぶりに飲もうと約束していたのだが、私のドタバタがあって今回もチャンスを逃したと思ったら、突然現れるという荒技を使ってきた。私が家にいてもいなくても関係ないのだ。彼はそういう男なのだ。

そしてそういう突然の訪問が迷惑でありながら、実はもの凄く嬉しくもあるのだ。

彼は歳をとっても、いつまでも高校時分と同じで彼らしく生きている。私のバイタリティを誉めてくれる友人は多いし、私も多少なりとも自負心はあるつもりだが、彼には遠く及ばない。そこが私が彼に一目置いている点だ。

私が彼を最も尊敬しているのは彼が常に涼しい顔をしているからだ(実際は暑がりなのに(笑))。私の知人の中でも一二を争う波乱の人生を送っていながら彼は泣き言を言わず、いつもニヒルに笑っている。

本来なら一晩中酒を飲んで語り明かすところだが、私は失業中で彼は重い心臓の病気を患っている。ファミレスでコーヒーを飲みながら2時間ほど近況を交換しただけだった。だけだったが、私にはたまらなく嬉しい日になった。

さて、ここで話題を変える。付け足しのようになってしまったが、予告していた通り野茂のメジャー100勝を是非お祝いしたい。彼のメジャーでの9年のキャリアについて最大限の敬意を表したい。

何事も続けることは大変だ。特に低いレベルでダラダラとしているのでなければ、だが。野茂の様にトップレベルをキープしながらそれを続けるというのは人生で一番努力が必要なことではないだろうか。

イチローがルーキーイヤーに首位打者をとったことと単純に比較は出来ないし、どちらも偉業ではあると思うが、私は野茂の気高さのようなものを特に評価したい。

そして私もいい仕事を長く続けられるような人間になりたいと思う。

感染症の恐怖

21 月曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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数年前に「アウトブレイク」という映画があったのを覚えているだろうか?アフリカで大量に発生した「エボラ出血熱」というウィルス性の感染症を扱ったもので、アウトブレイクは「爆発的に広がる」という意味だ。

なんでこんな映画がヒットしたかというとそれはその10年くらい前より大量に発生した「AIDS」の影響だと思われる。つまり人類はようやく天然痘を撲滅し、ペストやコレラに対しても立ち向かえるだけの医療技術を備えたというのにAIDSウィスルという新種の登場でまた、新たなスタートを切らなくてはならなかったのだ。

AIDSウィルスが粘膜による接触感染であることは、それが如何に未知のものであっても、対処のしようがある。しかし発生当時エボラ出血熱は空気感染ともいわれ、このことは人々を恐怖に陥れた。

そしていま、SARSである。こちらは風邪のような症状であるが、高熱がでてしかも正体が分からなければ(コロナウィルスであることは分かったようだが)、有効なワクチンの開発もこれからである。

連日マスコミで取り上げられていて、私が思うのはこれはそんなに話題になることなのか?ということだ。もちろん感染症であるから、無知はいけない。しかし正体の分からない感染症というのは案外多いものだ。実はそうした感染症が存在していることを知らないだけで、実際は他にも注意が必要な感染症は山ほどあると思う(私も調べたわけではない)。

例えば院内感染が話題になった、MRSAは最強の抗生物質といわれたメシチリンに耐性を示す黄色ブドウ球菌だ。O-157に感染して腸内でベロ毒素がでてもそれを治す有効な薬がないこともよく知られたことだ。インフルエンザもそうだし、風邪もそう。水虫もある種感染症といえるかもしれないが、人類はこれすら克服してはいないのだ。

私はもちろんSARSをバカにするものではないが、どうにもマスコミの煽りすぎのような気がする。SARSの死亡率がどれくらいで、感染率、発症率がどれくらいなのか私は正確な数字を知らないし、医療関係者ではないので実体はよく知らない。しかし上記のように恐ろしくしかも治せない病気というのは非常に多いのだ。

実は最も恐ろしい伝染病は「恐怖」なのかもしれない。これは心理学の分野ではあるが、恐怖やパニックという人の精神状態は「伝染」するものなのだ。いま我々に求められるのは正しい知識と未知なるものへの恐怖との正しいバランスだと思う。

無題

20 日曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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本日は活動再開してから最初の就職面接。約9ヶ月ぶりにスーツを着てちょっと緊張しながら会社へ向かう。面接前に簡単なテストがあった。漢字の読みや、書名に対して作家の名前を答える問題や、映画のタイトルに対して監督名を答える問題など、多岐に渡っていた。

どうしてもタイタニックのジェームズ・キャメロンが思い出せなかったが、あとはまずまずで、面接も大変に順調だった。

その後、楽団の練習に足を運んだ。土曜日だったので面接に楽器を持っていこうかどうか悩んだのだが、奇抜なことはしない方がいいし、自分自身大荷物を持って歩くのがいやだったので、手ぶらで練習に行くことにした。

うちの楽団は本当に自由な雰囲気で、決して私が手ぶらで行っても「何しに来たんだよ」というようなことはいわない。しかし、完全にヒゲを剃って、スーツを着ていた私に対して「誰?」と固まる人が多かった。

「見学で来ました。初めまして」とふざけると、それを真に受ける人のなんと多いことか。まぁ、それほどヒゲの印象が強いのだと理解出来るのだが、そのあと「なんでスーツなの?」という問いに対して、「面接です」と答えると、それすら、あまり信じてもらえなかった(笑)。

練習では普段以上に暇だったので、指揮を頼まれた。指揮といってもリズムを叩くだけで何ら音楽的な指導をするわけではないし(出来ないのだ)、実はテンポが遅くなったり、曖昧だったりで逆に演奏の邪魔をしていただけのような気さえした。

でも、正直に言うと、ちょっと指揮は楽しい。病みつきになりそうだ。

その後、本来は就職活動中で嫁をバイトで働かせている身としては、とても飲みになどは行けないのだが、本来練習と飲みはセットなのだ。食事と称して飲んだ。普段話さない人と話が出来て(というか一方的に私が喋って)楽しかった。

楽しかったので、わざわざ飯田橋から王子まで移動して別会場で練習していた吹奏楽団の2次会に参加した。久々のカラオケであったが、私は歌は諦めたので軽く唄って、あとはみんなの歌を聴いていた。

王子からは歩いて帰ってきた。私が4ヶ月間警備をした現場の横を通った。すっかり建物が完成しており、景色は一変していた。

千鳥足で長距離を歩くというのも久しぶりだが、暖かい夜は案外気持ちがいい。帰宅後しつこく嫁に絡んで、また叱られた。

インプット・アウトプット

19 土曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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私のようなお喋りな人間は、とにかく知ったことは喋らないと気が済まないが、これが実は記憶上は非常に有益なことらしい。因みに私は誰にその話をしたのか忘れて、同じ話しを何度もしたり、していない人に「したよね」などとやって恥をかくことはしょっちゅうだ。

記憶が繰り返しにより定着することは私も知っていた。短期記憶と長期記憶という奴だ。脳の仕組みが全て明らかになったわけではないが、そこにはこのインプットとアウトプットの考え方も一役買っているというのだ。

例えば、私はトロンボーンの練習をしているが、いままで上達のスピードが遅かったのは私の才能のなさの他に、実践の場が少なかったからなのだと言えると思う。つまり練習はインプット、実践はアウトプット。この理論から行けば、ろくに基礎も出来ていない中学生がブラスバンドに入ってアッと言う間に上手になるのもうなずける。もちろん先輩のしごきに対する焦りもあると思うが(笑)。

これが顕著なのは語学だと思う。英語にしろフランス語にしろ、もちろん他の言葉もそうだが、使わないと忘れるというのはよく聞く話だ。アウトプットがなければ定着した記憶も寂れていくのだ。

その意味では例えば勉強したことを誰かに教えるというのは非常に有効だということになる。私は物事に対する理解が早いほうなので、学生時代もクラスメートより先に理解して、教えたりしていたが、私は復習はしないので、アッという間に忘れ、テストが終わると教えた人に抜かれていたりした。

実は私はこのインプット・アウトプットの考え方については高校くらいから気が付いていた。教えながら理解が深まることを体感していたからだ。

ところがその一方、非常に不思議なことがある。私は上記の理論の実践として「禅問答」というのは非常に有効だと思っている。ものを考えてアウトプットする場として禅問答というのはとてもシステマティックだと思うのだ。

しかしそれとは逆に禅宗には達磨大師という人物がいる。面壁8年!壁に向かって座禅を組むこと8年。彼は悟りを開いたのだ。果たして人間は黙って考えるだけで結論に達するのだろうか?

少なくとも私には無理だ。8年間に1万人と話しをして結論に達することはあると思うが、一人で考えては堂々巡りを繰り返し、結論どころかノイローゼになってしまうだろう。

つまり私はこれからもお喋りをやめない。ということだ。

自殺者

18 金曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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一緒に自殺してくれる人をネットで募って死ぬというのを昨年末くらいから度々聞くようになった。果たしてこれが厳密に自殺なのか分からないが、いつも死を考えている私としては複雑な気がする。

私は辛い時には「死ぬわけじゃないし」と考えることにしている。逆にいえば、いつでも死ねると思っていた。しかし結婚してから、私は嫁のために生きなくてはならない部分というのもあるわけで、このことは心境に大きな変化を及ぼした。

私は自殺というのは弱い人間の結論だと確信している。死ぬことに対して勇気が必要だとかいうのは妄言だと思うし、最も悲惨な地獄はこの世にあるのだと考えているからだ。とはいえ、私は自殺という権利があってもいいと思っている。

これは生きる権利と同様に、生きることを諦める権利というか、より積極的に死ぬことが認められてもいいと思うのだ。

そもそも論でいうと、太古より人間は死をネガティブに捉えすぎなのだと思うのだ。輪廻転生を理論づける証拠はどこにもないし、死んだ先に何があるのかも私には分からない。しかし「色即是空 空即是色」である。形あるものは必ず壊れるのだ。

生にこだわる理由が私には分からない。

私が胸を張って言えるのは、私はいつ死んでも後悔ないように真剣に生きているつもりだ。先に目標や、やり残しがないとはいわないが、今出来ることはやっているから、そういう意味では後悔はないはずだ。

そして、もし人生の意味が見いだせなくなくなったら、その時は自分で人生から引退してもいいのではないか?と思うのだ。

公的に自殺が出来る社会というのはそんなにネガティブなものか?何が何でも生きることが潔く、しかも意味のあることか?私はそうは思わない。

とはいえそれには条件がある。関係のある全ての人に死を納得してもらうことだ。人間は決して一人で生きているのではない。その選択が仕方がないと思えるように周りの人を説得出来るのであれば、と但し書きをつけたい。

誤解のないようにいっておく。私は決して自殺を奨励はしない。私個人でいえば自殺する奴はやっぱり弱虫の根性なしだし、自己満足でしかない。

その一方で、誰にでも訪れる死を、自分で選ぶ権利があってもいいし、死が哀しいことであると考えるのもナンセンスだと思う。

多事多感

17 木曜日 4月 2003

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何を書こうか迷う日がある。松浪健四郎について書こうかとも思ったが、あんな奴のために貴重なスペースを割く価値はないのでやめた。

グレート・サスケについて書こうとも思ったが、ちょっとポイントが掴めなかった。つまり議員の本質はその活動にあるのであって、服装にあるのではない。サスケのマスクがまずいのであれば、カツラを着けている議員もまずいことになるだろう。しかしその一方で、議会というのは敬意を払うべき公の場だ。ドレスコードがあっても、私はいいと思う。

問題なのは最初からそうしたドレスコードに対する概念がきちんとしていないくせに、はみ出した時に問題視する頭の固い連中だ。単に自分と違うから、旧習と違うからというのはナンセンスのような気がする。

とはいえ、どちらが正解とは私にはいえないし、どちらでもいい(だから結論を出そうとも思わない)。

茨城の住宅地の井戸水からヒ素が検出されたことが私にとっては最も衝撃的だった。私は小学校時代から江戸川乱歩やコナン・ドイル、モーリス・ルブランなどの探偵小説を読んでいて、ヒ素は最も良く登場する毒薬として印象深い。

数年前に私は化学薬品(主に毒薬)について勉強したことがあったが、実はヒ素はそんなに恐ろしいものではないし、結構身の回りに溢れているし、極少量ではあるが、人体にも必要な要素なのだ。

私は毎日トロンボーンのマウスピースを口にしているが、このマウスピースには金メッキが施されていてメッキには当然ヒ素を使用する。もちろん直接摂取するわけではないが、小学生の頃、恐れていた毒薬が、生活にこんなに密着しているわけだ。

井戸からヒ素が出たのは旧日本軍の毒薬の化学成分が分解したからだといわれているが、そんな特殊な事例でなくとも、我々はいつもなんの確証もなく水道水を安心して飲んでいる。いま飲んでいるこの水に何が混じっているか分からないのに。

安全と水は日本ではただだといわれて久しいが、私がいうまでもなくそれは幻想だし、しかしその幻想が実体としては高い確率で機能している日本という国はなかなかのもんだと思う。

支離滅裂な文章だが、実は私はドジャースの野茂のメジャー通算100勝を待ちかねているのだ。今日もダメだった。頑張れ野茂!明日があるさ。

街の景色

16 水曜日 4月 2003

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雨が降っていたが1時間ほど近所を散歩した。私の家の周りは23区内といえども辺境にある。成増と違って農地はほとんど見られなく、完全な住宅地の様相を呈している。

開発中の道路が数本あって、尾久橋通りのモノレールなどが完成すれば、なかなか開けた便利な地域になると思うのだが、それは一体いつのことになるのだろう。東京都の都市整備については古くから住んでいる人でないとなかなか分かりにくいが、環状道路と放射道路の2本からなっている。

尾久橋通りは放射11号で、正確にこの道路の整備(含むモノレール)がいつ頃計画されて、いつ完成する計画なのかは知らないが、バス停でおばあちゃんが話しているのを聞くとどうやら20年も前から話しがあって、工期はどんどん延びている。

私が引っ越した頃は平成16年に完成予定だったモノレールは、アッという間に19年に計画変更された。これが民間の計画なら担当者は絶対にクビだが、実のところ、まだ土地買収がすんでいないところもあるので、果たして19年に完成するかどうかも怪しいところだ。

先頃首都高王子線が完成したが、王子から江北橋を通って水戸街道へ抜ける道路が足立区の一部で切れ切れに出来ている。尾久橋通りと並行しているバイパスもあるにはあるのだが、これまた何故か全線開通はしていない。

計画の仕方が悪いのかそれともこれが自然の姿なのか分からないが、とにかく造りかけの道路をあちこちで見ることになり、私は車を持っていないからさして困らないが、大きな道路だと思って走っていると急に行き止まりになって驚くことになる。

逆にその遠い未来を見越して尾久橋通りにも小さな店がいくつも出来つつある。散歩して驚いたのはいまは裏通りとなっている作りかけの通り沿いにも、ここ数年で結構お店が出来ている。自分の持ち物で、家賃の心配がないからこうした悠長な商売が出来るのだろうか?

逆に裏通りを歩き回るといまは寂れてしまった、小さな商店街をいくつかみつけることが出来る。商店街といっても雑貨屋と肉屋と総菜屋が4、5件並んでいるだけだが、その名残が見て取れるのだ。

東京はいま品川再開発、六本木再開発、汐留再開発など大規模再開発が進んでいるが、うちの周りのような辺鄙な場所でも確実に時間は流れている。

私のような異邦人はなかなか一カ所に長く住むことは出来ないが、それでもこうした街の変化を感じられるのは楽しい。

NHK語学講座

15 火曜日 4月 2003

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ここ数年NHKの語学講座はグラビアアイドルやモデルの男性などを使ってその裾野を広げようとしている。私が勉強しているフランス語講座に限っても一昨年の井川遙、昨年の仲根かすみと、10年前なら考えられないような人が出演している。

10年くらい前も確かに、女性の出演者がいたが、それはとても名前のしれたような人ではなくどこかの女の子や男の子というのが多かった。今年になると講座の前にその女の子達が椅子とりゲームをやって、一人あぶれた女の子(その時間の担当者)がその国の言葉で何かを言ってから講座が始まるというNHKらしからぬキャッチを使っている。

因みに月曜日に限って言えば、23時から中国語、30分からフランス語、0時からイタリア語、30分からロシア語と2時間まとめてみれば相当な世界旅行が出来る。

テレビの語学講座はそれほど高度な内容はやらない。もちろん語学が苦手という人にとっては取っつきにくさや、続けて行くにはちょっと骨があるが、ただ単にテレビをつけてみているだけでも楽しめるような工夫がそれぞれにされている。

検定のレベルに照らし合わせてみると仏検の4級までならテレビ講座を見ているだけで突破出来るだろう。逆に言うとそれほど4級は簡単だといえる。

しかし、英語と違いヨーロッパの言語は最初の山が高いだけで、それを越えてしまえば、さしたる例外もなく、また覚えなくてはならない単語数も英語よりは格段に少ないと感じる。中国語は良く分からないが、韓国語についても私が知る限りは文字を覚えるのは簡単だし、似た漢字の読みも多いので、発音と単語数さえクリアすれば英語よりは遙に簡単だろう。

テキストまで購入して真面目に勉強すれば、NHKの語学講座だけ(+英語力と度胸)で相当楽に旅行が出来るとさえ思っている。

逆に2年くらい続けて講座を見ている人にとっては4月5月の導入部や、あまりに素人なアシスタントの存在が邪魔に感じるかもしれない。私はネイティブのアシスタントを結構重要視するので、イタリア語講座のように2人とも男性だと少し興味が削がれたりもする。

私が思うのは、気が付きさえすれば勉強する機会というのはいっぱい転がっているものだということだ。放送大学もUチャンネルで放送しているから大学に入学しなくても勉強だけならしようと思えば出来る。

放送大学で音楽の講座がないかなぁと無い物ねだりをする今日この頃である。

都知事選

14 月曜日 4月 2003

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正直に言うと、いまはほとんど政治には興味がもてなくなっている。政治に何か実行力があるとは思えないし、議員に対しても期待出来ないということを強く感じているからだ。そうした私の無関心を象徴するかのように今回の都知事選は静かな選挙だった。

いままでで最小の5人しか候補がでなかったこともそうだが、現職が強いといわれる選挙に対して興味がもてないことは誰でも同じだろう。つまり「私が入れなくても、結果は決まっている」場合にはわざわざ投票に行こうとは思わないだろう。

私は石原都知事の政策全てを支持するわけではないが、政治家としては一目置いている。それは彼が、常に形に残る政策を実践しているからだ。いいか悪いかは置いておくが、とにかく彼は実行力という点では群を抜いている。

何事も自分でやりたがる長野県知事とは違い石原都知事は優秀なブレーンをしかも相当数抱えているのだと私は思う。銀行税で軽い黒星を喫したが(結果は出てないが)私は銀行税も観光税も賛成だしディーゼル規制にも賛成だ。

そうした細かいことはともかく、彼はとにかく「こうだ!」と目標を定めるのが上手い。繰り返すがそれが正しいかどうかは別としてだ。何かはダメだといっているだけではなく、どうにかするんだという強い意志が感じられるのだ。

私は思うのだ。こうした人材は希有な存在だが、反対派にもこうした人材がいれば日本という国はもっとよい国になるだろうと。何事にも反対だ!といってみたり、つまらない観念論、建前論、手順論の議論に時間を費やさない人が反対派にいれば、それはきっと良いベクトルを産むのだと思う。

隣の県のことだが、神奈川はそういう意味でよい選択をした。社民党を離党したアホな女性議員が「首長になりたい、なれば出来ることがある」などと浮ついたことを言っていたが、彼女が知名度だけで知事になれば、それこそ亡国ものだ。

こうして考えると知事というのは全国規模で良い人材が揃ってきたような気もする。問題は国会議員だけなのだろうか?

ちょっと話が逸れるが、イラクで略奪行為が横行しているそうだ。混乱に乗じて略奪をするなどとどうしてそんな尊厳のないことが出来るのだろうか?イスラム教徒は略奪は認められているのか?

同様に日本国民も私は自分の利益のためだけに議員を選ぶのならば、それは生活のために略奪をする国民と何ら変わりないだろう。

自分の音

13 日曜日 4月 2003

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何回か書いているが、人生には壁とか穴とか溝とか山とか谷がある。思うようにいかないという意味の比喩であったり、困難が伴うという意味であったり、なかなか越えられないという意味なのだと思うが、音楽の練習をしていると、もうしょっちゅう壁だらけである。

すっかりオーケストラが楽しくなってきた。今週は弦楽器もファースト&セカンドのヴァイオリンが15人位もいたので、曲が随分聞こえてくるようになった。そんな中で合奏するのはたまらなく楽しいのだが、弦のボリュームが上がるのに比例して、私のお粗末ぶりに自分で我慢が出来なくなってきたのだ。

楽譜を読み間違えたり、変なところで音を出したりするのは、まだ仕方がない。しかしそれ以前に、いい音が出ないし、タンギングも甘い。

この、いい音を出すというのは音楽家にとって永遠のテーマのような気がする。管楽器はもちろんそれぞれが人間らしく、その人の音というのがするが、実際は弦楽器も、ピアノを含む打楽器さえも個人によって音色が違うものだ。

特に管弦楽曲でのトロンボーンはメロディーを担当して「唄う」事が求められるよりも中低音部の強化でアクセントとして使われることが多いと思う。そしてその短い役割に求められるのはやはり「最高の音色」だろうと思う。

音色にも色々とレベルがあって、音楽家にとって最高の音色を私が求めているわけではない。今の私にはそこまでは無理だ。私が今、やらなくちゃいけないのは「最低限トロンボーンの音」を出したいのだ。

この最低限の音というのが管楽器以外の方には分かりにくいのかもしれないが、よく言われるようにピアノは猫が踏んでも音が鳴る。それは10万のピアノで音大生が1音出すよりも、猫が踏んだスタインウェイの方がいい音が鳴る「可能性」があるということだ。

しかし管楽器はそれがないと私は思う。100万円のトロンボーンを私が吹くよりも、3万円の楽器をプロが吹いた方が「絶対に」いい音がするのだ。

最低限トロンボーンらしい音。その先に私らしい音がある。私にも目標とする音があるが、それ以前のレベルに達していないのだ。

合奏自体は楽しいが、帰る道すがら、あまりのへぼい音にちょっと凹んだ。だが、凹んでいていい音が出るなら誰も苦労はしない。どうすればその壁をうち破れるのかははっきりしている。

正しい方法で練習を重ねるしかないし、私は練習好きだ。地道に頑張ろう。

肉体改造

12 土曜日 4月 2003

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床屋に行ったら驚くべき事を言われた「肩、固いですねぇ」と。

私は肩こりなどほとんど経験したことないので、驚いてみると、「そういう方多いんですよ。ガチガチの肩をしているのに、こりを自覚してない人が」というのだ。

私はもうかれこれ10年以上パソコンを日常的に使ってきたし、ワープロを含めると15年にもなる。尤も、こりやすい人は車の運転をしていてもこるというのだから、一概に犯人がパソコンだけということもないだろう。

そう考えると思い当たることがある。

私は実は身体が柔らかいのが自慢であった。足が短いおかげもあり立位体前屈という測定では20センチを超えることもあった。いまは身体のあちこちに余分な脂肪が付き前屈みもきついものがあるが、それでも基本的には柔らかい。

ところが、この8ヶ月自宅勤務であったせいか、身体のあちこちが固いなと感じることはあった。動かさないというイメージのせいかと思ったが、床屋を出て肩を触ってみると確かに鉛が入っているような感じだ。通りで重いわけだ(嘘)。

私は筋肉が欲しいとは思うが、固い筋肉はいらない。ボディービルダーのようなマッチョな身体よりは陸上選手のような筋肉が付けばいいと思い、マラソンもその思いの延長線上にある。

丁度いいきっかけなので、寒くてやめていたランニングを再開し、ダイエットも進めていこうと思う。もちろん私はこうしたことをする時は必ず食事とセットで考える。断食をして胃を小さくすることも必要だが、食生活も少し変えてみようと思う。

最近毎日ピクルスを食べているのは偶然だが、こうした奇妙な一致は人生の中には結構あるものだ。

ちょっと話は変わるが、ここんとこのイラク戦争を見ながら思ったことがある。もし私が小さい頃から格闘技をやっていて、腕に覚えがあれば、やっぱり喧嘩したくなるのだろうか?と。

私は人間的には生意気だし、社会的に不正を許せない正義感も持っている。もしその上「喧嘩上等」なら、あちこちで生傷を作るような人間になっていたのだろうか?それともそうした力を持ちながら静かに自制していられるだろうか?

太っている人間が痩せると物理的な変化の他に、精神的な変化も訪れるという。そうなのだ、肉体と精神は決して切り離せないものなのだ。そういう意味でも身体を絞って、人間をシャープにする必要を感じている。

最後の大阪出張

11 金曜日 4月 2003

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今生の別れというわけではないだろうが、とりあえずこの仕事での出張は今日の大阪で終わりということになる。

思えば、二人以上の関西弁は我慢出来ない私が、この8ヶ月に月一回以上のペースで関西に行った。それまで3歳の時の大阪万博を除けば1回しか行ったことのない大阪に限っても5、6回は行ったろう。

新大阪の駅はだいぶん馴染んできたし、心斎橋から難波にかけても歩き回った。南海線に乗って「蛸地蔵」にいったかと思えば、京阪線にも初めて乗った。倉庫が「中ふ頭」にあるので、ニュートラムにも何度も乗った。

皆さんはご存知だろうか?大阪にも「ワールドトレードセンター」があることを。ニューヨークにあったものほど高くはないのかもしれないし一棟しか建っていないが「トレードセンター前」という駅もある。

金銭的な問題もあり、毎回新大阪から御堂筋線と四つ橋線を乗り継ぎ、ポートタウン線に乗って倉庫に行った。住之江から倉庫まで2時間かけて歩いたこともあった。

私は大阪の電車や地下鉄に乗るたびに周りの人を観察し、中吊り広告を見てきた。東京が日本の中心だと思うのは大きな間違いで錯覚であるということを強く意識した。しかしその一方で標準化の波は確実に押し寄せており、大阪でも標準語を話す人は案外多い。

大阪の街並みも東京とは一風違っているが、それでもコンビニやファーストフードの看板、英会話スクールの看板、消費者金融の看板などが、日本の風景さえも標準化しているのは哀しいものだ。

出張帰りはお土産を買うのが楽しみだが、ご当地限定のお菓子よりも大阪の場合は「551蓬莱」で豚まんを買うのが定番だ。最初は豚まんしか買わなかったのだが、実はこのお店はシューマイや餃子の方が美味しいと私は感じている。

さて、大阪への郷愁と共に、いつもは寝ているだけの新幹線も、もう乗ることはしばらくないのだな、と思うと少し寂しくなった。いつもは揺れが激しいと感じていたが、このスピードで滑るように走っていることは確かに、奇跡で、人間は奇跡にさえ馴れてしまう贅沢な生き物なのだと感じた。

一つ心残りがある。いつも出張は一人だったので大阪で酒を飲むことはなかった。私は外で一人で飲む習慣がないのと、大阪の街は怖そうなイメージがあるからだ。

いつか大阪に行って、夜も楽しんでみたい。

松井?新庄?

09 水曜日 4月 2003

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もう、日本の野球は見ないんだろうなぁ、と思う今日この頃。考えるまでもなくつまらないからだ。

本日はその野球界にあって歴史的な日となった。松井の本拠地初試合で満塁本塁打が出たからだ。松井が全く努力してないとはいわない。彼は彼なりに努力はしているだろう。しかし恐らく思うのだ。スタートラインが違うよなぁ、と。これは嘆きでも諦めでも愚痴でもない。

松井は恵まれた身体を持って生まれた。才能というのもあるだろう。そして何よりも彼は「運」を持っている。彼が如何に優れたホームランバッターでも満塁のチャンスは彼の能力ではどうしようもない。それに今日の場合、5番バッターである彼の前のバッターは敬遠されたのだ。日本では考えられないことだ(爆笑)。

いままでの試合でホームランが出なくてジリジリしていた人達も、今日のホームランで溜飲が下がったろう。何よりも最高の舞台で最高のアピールが出来たのだ。松井にとっても最高の結果といえるだろう。

彼がヤンキースに入れたのも、私は運がいいと思う。彼が10歳早く生まれていたなら、彼はその位置にはいられなかったのだ。

一方同じニューヨークのチームにいる新庄は今日のゲームで初スタメン。なんと3打数3安打の固め打ち。彼はオープン戦でチーム最高打率だったのに、同じポジションに高給取りがいるために不遇を囲っている。

私は松井以上に新庄の「運」の強さには目を見張っている。逆にいうと、彼の努力はもしかすると松井以下かもしれない。それが故に新庄は松井以下の結果しか残せていないし、年俸の差も何十倍とついているのだろう。

しかし運の強さでいえば新庄の強さは並のものではない。私も新庄の運の10分の1でもあればと、実際はこちらの方が羨ましいくらいだ。

さて、とはいえ、私が本当に応援し、尊敬するメジャーリーガーはただ一人。野茂英雄だ。彼は今年中にメジャー100勝を達成するだろう。これはイチローの首位打者よりも松井の満塁ホームランよりも、ずっと評価されていいし、評価されるべき結果だと思う。

なによりも長く続けることが大切なのだ。人間は毎日生きているのだから、1日でも、1時間でも、そして1試合でも長く何かを続け、その中で結果を残すということこそが最も偉大なのだと私は思う。

さはさりとて、今日は松井の日であり、新庄の日であったろう。おめでとう。そして励まされた。

プリンプリン物語

09 水曜日 4月 2003

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プリンプリン物語というNHKの人形劇はご存知だろうか?79年から82年まで放送されていたそうなのだが、私の年齢でいうと、12歳から15歳までの間にやっていた。物語の詳細については独自に検索していただくとして、私は一体に人形劇が好きで、「八犬伝」とか「紅孔雀」とかずっと続けてみていた。

プリンプリン物語はどのくらいの年齢の人が懐かしいと感じるのだろう?これは丁度ピンクレディーの活動の後期と重なるし、松田聖子や田原俊彦のデビュー時期から、中森明菜、近藤真彦のデビュー時期までをカバーしている。

まぁ、仮に同年代に生きていたとしても、このテレビ番組を見ていたとは限らないから、一概には言えないと思うし、私自身途中からは興味がもてなくなり、見なくなったので、最終回も見た覚えがない。

とはいえ、この番組は人気が高く、どうしていままで再放送しなかったのか不思議だったが、とうとう昨日から再放送が始まった。昨日は見逃したが、本日見てみると、実は当時の番組のビデオが残っていないということが説明されていた。

確かに昭和50年代であるから、家庭用のビデオ録画装置はなかっ。因みにこの頃テレビを「録音」するという行為は我が家でも行われていたが、録音用のコードがなかったので家族全員(もちろん父親は協力してくれないので、父がいない時)で声を潜め、物音を立てないようにして、電話が鳴らないように神に祈ったものだ。

とにかく、テレビ局の側でも画像を保存することなく消してしまい、ほぼ最初の3分の2はないというのだ。今回の再放送はNHKの放送開始50年を記念してのことだと思うが、局のビデオではなく、関係者の家庭用のビデオを一部使っての再放送となるようだ。

この紹介番組では、あらすじを紹介して、歌も何曲か放送されたが、不思議なもので曲が流れると、かなりあやふやながらメロディーが口をついてでた。簡単な曲だということもあると思うが、人間の記憶とは不思議なものだ。

明日から本編の再放送が始まる。上記の理由から第一回からの放送ではないが、私としてはむしろ、あれだけダラダラと(笑)続けた旅をどのようにして終わらせたのか、最終回の方にのみ興味がある。

キミ・ライコネン

08 火曜日 4月 2003

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F-1ブラジルグランプリは久しぶりの波乱で、事故多発。規定の周回数に達する前に赤旗中断、その時点でトップを走ってたキミ・ライコネンが2連勝を飾ることになった。

元来F-1は貴族のお遊びだ。それが証拠に長いF-1の歴史の中で黒人のドライバーは恐らく一人もいないだろうし、アジア中近東というくくりでは、日本人が10人以上いるので数字としては弱いが、ほとんどのドライバーが自分でスポンサーを持ってシートを獲得しているなんちゃってF-1ドライバーだろう。因みに女性ドライバーも数えるほどしかいない。

考えてみるまでもなく、そしてF-1に限らず、車を乗り回して遊ぶというのはお金持ちの道楽だし、とりもなおさず共産圏ではその存在価値を位置づけるのは難しいだろう。モスクワグランプリの計画があった事は知っているが、ロシア人ドライバーは恐らくいないだろう。

逆説的にF-1ドライバーというのは自由経済圏におけるエリート中のエリートだ。その意味においてはスポンサー持参で乗り込むということもあながち批判出来ないが、本当に速さに対して才能がある者とは明らかに差があることが、素人でも見て取れる。

F-1を見ていると、下位チームの中でも走りの光る若者を発見出来る。そうしたチームや車に恵まれない人にトップチームの車を与えてやれば結果は違ったものになる。セナやシューマッハーのように下位チームで実力を示してのし上がった例外もあることにはあるが、トップチームの車に乗れるか乗れないかは大きな差なのだ。

基本的にF-1のシートを得た段階でどのドライバーにも勝つ可能性はあると思う。彼らは間違いなくエリート中のエリートなのだから。しかしその中でも勝てるドライバーと勝てないドライバーの間には明らかに溝がある。

ライコネンもザウバーでは勝つのが難しかったろう。しかしマクラーレンに移籍して、昨年勝てそうで勝てないレースがあった。そして今年1勝すると今度は運まで味方してくれた。これは勝負の世界では「勝ち癖」という。それほどまでに最初の1勝には意味があるのだ。

チャンピオンに絶対なれるといわれながら、1勝はおろか、未勝利のままF-1を去っていくドライバーも多い。この見えない壁、なのか溝なのか、を越えるということは彼らでも難しい。

新学期

07 月曜日 4月 2003

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正確には昨日のことになるが、大学院の最初の講義があった。放送大学なのでテレビかラジオを利用しての講義になるのだが、それはそれは神妙な気持ちになった。と、同時に聞き漏らしてはいかん!ということでビデオに録画した。

特に私が個人で録画しなくともこの講義を再び見るには、大学が各都道府県に持つサテライトセンターに行けばいつでもビデオが見られることになっている。大学としては個人的に勉強するよりもこのサテライトセンターを積極的に利用してモチベーションを高めることを進めている。

今日知ったのだが、放送大学の学部では卒業率は25%なのだそうだ。院がどれくらいか分からないが、とにかく低いことは低い。放送大学を含め通信教育はとにかく続けることが困難だ。

つらつら思い返してみると、私は結構通信教育を受けている。始まりは中2の時の進研ゼミ。これは母親の叱咤もあり一応形式的には卒業までの2年間続けたが、最後のほうはヘロヘロだったような気がする。

次にこれはあまり人に話していないが、実は大学時代に早稲田式速記という速記の通信教育を受けた。友人の父親が北海道庁に勤めており、議事録の速記を高校生くらいに見せてもらってから強く興味があったのだ。

私は一貫してコミュニケーションに興味があり、それは言葉であったり、記号であったり、暗号であったりした。

その速記は教材が届いて、一回も課題を提出することなく終えた。いまにして思うのはあまり良く出来た教材ではなかったということだと思うが、とにかく通信教育の難しさを感じた。

そして3回目は社会人になってからアルクの日本語教師養成講座を受講した。この話は数週間前に書いたが、大変真面目に受講し、課題もほぼ満点で毎月確実にやった。卒業まであと論文2本というところで挫折したが、結局私は通信教育をまともにやり終えたことがないというつまらない実績だけが残った。

そして新学期。社会人になるとなかなか明確に人生を区切ることが難しくなるが、学生時代は意識してもしなくても春になれば新学期だ。

私も気分を一新すると同時に、いままでのツケを取り戻すべく少しずつでも、確実に前進していこうと思っている。

因みに最初の講義。ビデオに撮っている安心感もあり45分間の講義の最後の15分は寝てしまった(爆)。ダメじゃん。

ダンディー坂野

06 日曜日 4月 2003

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本日は嫁の誕生日。我が家で最も大切な日だ。

ところがこの日はどういうわけか、あまり盛大に祝えずにいる。結婚して最初の年は、我が家で普通に祝ったが、次の年はせっかく休みを取ったのに雨が降り自宅待機。昨年はちょっと家庭内にトラブルがありやはり祝えず終い。

そして、今年は早々にディズニー・シーに行くことを計画していたが、なんと昨夜からの雨と風で風邪気味の嫁を連れて行くには余りにも厳しいコンディションであった。ということで、なんと今年も自宅待機。

テレビを見て、私の手料理で祝う誕生日になった。因みにメニューは嫁の好物で、私の得意料理、トマトリゾットとサラダであった。今日のリゾットは非常にいい出来であった。味もいつものようにしょっぱすぎることなく出来た。

さて、18時半からの「メチャいけ」を見ていたら、ダンディー坂野がでていた。「ゲッツ!」という持ちギャグで最近テレビに出ているので知っている方も多いと思うが、実は私はこの芸人は4、5年前から知っている。

決して絶対に面白い芸人ではないし、圧倒的に間が悪いし、非常に使いにくく、絡みにくい芸人だと思う。しかしそれでも私は彼を初めて見た時から虜になっていた。

今日もワンポイントの扱いであったが、ゴールデンタイムにテレビに出てしかも、ナインティナインとモーニング娘。と絡んだのだから彼の知名度は大幅にアップしたろう。

芸人をその能力で評価する私としては、彼のつまらなさが面白いなどというのは何とも非論理的だが、それ以外に彼の魅力を語るとすれば、それは偏に「オンリーワン」であるということだろう。

驚くことに彼はつまらないなりに少しずつ腕を上げ、先週は「笑点」にでて7分間も一人で喋りきった。しかも、そこそこに面白くなって(笑)。

私は芸能人に関してそれほど目が利くほうではないが、それでも割といい確率で売れる売れないを当てることが出来ると思っている。ダンディーに関しては、私は好きだが絶対に売れないと思っていた。

嬉しい誤算というべきだろうか。

指揮者

04 金曜日 4月 2003

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最近楽譜を読む機会が増えた。練習しなくてはいけない曲もあるのだが、基本的にオケの曲というのは基礎連さえやっていれば吹けるようなもので、ソロやアンサンブルと比べれば簡単な部類に入る。

とはいえちゃんと演奏出来るか、ということは別問題で、実は先週の練習でも若干突っ込み気味を指摘された。突っ込み気味というのは要はちょっと早めだということだ。ほんの少しだがリズムが早くなり、放っておけばどんどんテンポが速くなってしまうのだ。

大音量で鳴る金管楽器が滅茶苦茶なことをすると、オケ全体の演奏に対する悪影響はことのほか大きい。練習室の隣で行われている内装工事のグラインダーの音の方がまだマシだと感じるくらいだ(笑)。

では、どうするか?

指揮者を見るのだ。私はオケは初心者であるから正直コンサートマスターの弓を見る余裕はないし、見方が良く分からないし、物理的に見えなかった。しかし正面にいる指揮者はよく見える。

演奏しながら、楽譜を睨み、そこから目を上げ指揮者を見るというのは初心者にとっては非常にしんどい作業である。しかも私は鼻が低いのに眼鏡をかけていて、目線だけを上げても眼鏡はそのままなので指揮者は眼鏡を通さず見えることになる。

つまり目線を上げてテンポの修正に努めても、指揮者はうすらぼんやりと、単に踊っているようにしか見えないのである(ゴメン)。本番ではコンタクトを使おうと思っているが、練習の時はどうしようか思案しどころである。使い捨てコンタクトなので経済的な問題があるからだ。

とはいえ、音楽系の雑誌を読むとプロの演奏者、特にオケの奏者は指揮者を全く見ない人も多いのだそうな。フルトヴェングラーなどは「振ると面食らう」とあだ名される通り、指揮棒を見てもわけが分からないのだそうだ。カラヤンの指揮も非常に分かりにくい。

自分が演奏するようになって指揮者の有り難みが分かると同時に、指揮してみたいとも思うが、その怖さも身に染みている。

私のことだ、もう少しオケに慣れ自分の分がきちんと吹けるようになると、「分かりにくいぞ!」なんて指揮者イジメをするようになるのかもしれない。

オケの映像を見ると以前はトロンボーンばかりを見ていたが、却って最近は指揮者が気になる。皆さんも自分が演奏する気になって指揮者を見てみると結構面白い。どこで拍子を取っているのか、分かり易い人と、分かりにくい人がいるからだ。

継続は力なり

04 金曜日 4月 2003

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文章が全く書けないことがある。饒舌な私は言葉に詰まるということはないのだが、文章に関してはムラがある。

最近英語の勉強や、音楽活動を通して人間の脳の仕組みに興味を持っているが、思考と表現の間には右脳と左脳のリンクがあるわけで、脳が疲れていたり、他のことに気をとられていたりすると上手に働かないのだろう。

しかしそう考えると、多くの作家、画家、音楽家は不遇な一生のうちに優れた作品を残している。裕福で余裕があり、平静の中から生まれた作品もあることにはあるだろうがその比率は低いだろう。

結局私が今感じているようなことは、能力の低い者の言い訳なのだろうか?

この日記は、私が私自身の為に書いているので、あまり書くことがなければそこでやめることは可能だ。しかし編集者の時には毎月決まった量の原稿を書かなければならなかった。しかもそれは私の興味のあることではないし、内容についても熟知したものではなかったのに、だ。

その頃は結局プライベートで文章を書くことが全く出来なくなった。ああ、私にはライターは向かないのだな、と感じた瞬間であった。

しかしそうはいってもやはり「文字」に近いところで仕事をしたいとの思いは強く、そのためにもこの日記を始めたのだ。這ってでもずってでもとにかく毎日文章を書く。

ただ、単に続ければよいというものではないが、私は「継続は力なり」をモットーにしている。そしてこの日記ももうじき、丸2年経つ。

思えば色んなことのあった2年であった。日記を通して時間をたぐることが出来るわけで、私はこの習慣は非常に価値のあるものだと再認識している。

とはいえ、今日はあまり書くことがなかった。

ヒゲを剃る

03 木曜日 4月 2003

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昨年の8月より伸ばしていたヒゲを剃ることにした。私はお洒落とは全く無縁の男なので、ヒゲを伸ばすこともオシャレとは捉えていない。どちらかといえば、ヒゲを毎日剃るのが面倒くさいから。本来伸びるものを自然に任せたから。もしくは自分の顔に変化をつけたいから。

確かに毎日剃らなくてもいいとはいえ、定期的には手入れが必要だ。ある程度伸びたらはさみを入れて整えなくてはならないし、シャンプーやリンスもしている。洗顔の時にボディーシャンプーをつけるが、それではヒゲがごわごわになってしまうからだ。

とにかく私の中ではヒゲは顔の一部というよりは頭髪の一部という扱いになっている。

今まで何回かヒゲを伸ばした。きっかけは大抵長い休みで、お正月とか、お盆とかそんな休みをきっかけに伸ばして、あとは自分の決めたきっかけで適当に剃っていた。例えばマラソン挑戦したあととか、4月1日の年度替わりとか。

ヒゲは生やす時も面白いが、実は剃る時が面白い。突如人相が変わることで周りの人には大層驚かれるし、何よりもヒゲがある私しか知らない人、というのが存在する。ヒゲが生えてからあった人は剃ることにより多大な違和感を感じるようだ。

最も私自身普通の人間なので、その印象はすぐに薄れていくが、数年経ってからも「いやぁ、最初に会った時はヒゲ親父でしたからね」と笑って語ってくれる人もいて、ヒゲ剃り冥利に尽きる(?)というものだ。

さて、私は上記のようにヒゲは全部伸ばす主義だ。一部だけを生やすというのは却って手入れが難しいからだ。そして剃る時はこれ又一気に剃る。暫くぶりに見る顔の半分はまるでむきたてのゆで卵のようで自分で見ても結構面白い。「よ、久しぶり」などと声をかけたくなるくらいだ。

今回はもう少し遊び心を出してみた。最初の段階として頬の部分だけ剃ってみた。現在山賊のように口の周りだけヒゲが残っている状態だ。こういう風にヒゲを生やしている人もいるが、私は見慣れないせいもあり、どうも似合わない気がする。

明日は丸くつながっているヒゲを鼻の下と顎に分離し、次の日は顎をそり落とし、残った鼻の下も2段階。最終的にはチャップリンにしてみようかと思っている。

もちろんこんな面白いことを嫁と二人占めするのは心苦しいので、全部剃った段階で写真を公開してみよう。本当はそれぞれの段階で1ヶ月くらい暮らしたいのだが、贅沢は言えないな。

新たなる旅立ち

01 火曜日 4月 2003

Posted by emno78 in 未分類

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本日から私は大学院生である。正式には放送大学大学院文化科学研究科修士科目生である。科目生というのはある特定の講義だけを履修するもので、卒業資格とか修士論文を受け付けてはもらえない。そのためには本科生になる必要があり、当然入試もある。

今のところ来年の4月からは本科生になりたいと考えているが、これは金銭面、時間面で不確定要素があるのではっきりとはしていない。どちらにしても何年かかってでも絶対に大学院は出るつもりだ。目標は40歳までに、最短で38歳で。

研究のテーマはまだはっきりとは決まっていないが、私にとって終生変わりなく興味がありテーマとなりうるのは「コミュニケーション」である。それは言葉であったり、言葉以外のものであったり、文字であったり、音楽であったり。

つまりは人と人のつながりに興味があるのであって、極端な話し私は自然科学者にはなれないだろう。大学院にまで行って学問を究めたいのは即ち人間を極めたいからで、もちろんこれは居酒屋でもスナックでも可能なことである。

しかし敢えてアカデミックなアプローチをするのは、きちんと系統立てて知識を深めたいからなのだ。私が今勉強している英語やフランス語、日本語を初めコミュニケーションには人文科学的な面と社会科学的な面の学際研究が必要になる。

それが出来るのはやはり大学だろうと私は思う。そして私はそうした勉強を通して人間を理解し極めていきたいと思っている。もしかしたら修士課程では満足出来ずに博士課程にまで進むかもしれないが、もしチャンスがあれば出来るところまでいってみたい。

自分の決めた道が限りなく続いているというのは気持ちがよいものだ。

さて、昨日書いたが会社には退職の意志を伝えた。了承されれば今月20日をもって退職となる。皮肉なもので2年前の同じ日、私は前職を退職したのだ。どうやら4月というのは私にとって別れの月なのかもしれない。

退職の経緯については状況が落ち着いてから話すし、会社側から条件の変更が提示されれば翻意するかもしれないことを付け加えておく。

因みに半分冗談だが、もし退職したとして、今度は2年前とは違い失業者ではない。私の身分は「学生」なのだから。

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