紳助の引退を見ていて思ったのは、ああやって辞める事が出来るというのは楽だなぁということだ。
私がいくらこの国がイヤになっても日本人である事を辞める事は出来ない。いまの首相もイヤだが、次が前原前外相になんかになったら、いよいよ持って日本人である事を辞めたくなる。
でもね、こういう話の時にいつも議論になる点で、ではそもそも国家とは何ぞや?という事である。
既に戦後66年。国家というのはあるのが当たり前で、現存する仕組みの事を指す。しかし、そもそもで考えると今から2000年近く前にも国家の概念はあったであろうし、日本人(そういう意識があったかどうかは別にして)はいたであろう。
私が今、仮に日本を出ようが、出まいが日本人である、という事を辞めるのは可能なのだろうか?私は果たしてどの部分が日本人なのだろうか?
私は一応言語学者の端くれなので、ナショナリズムというのは言語とカレンダーであるという意見を持っている。日本語で考えればそれは日本人なのだ、遺伝子や生まれた国は関係ないのだ。
であるならば、こんな国の仕組みはなくなっても、我々は少なくとも私は日本人であり続けるのではないだろうか?もうこんな国にはしがみつきたくない。かといって地上に楽園は無い。
自分が出来る事をやる。これが今世界中の人に問われている事なのではないだろうか?

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