うちの会社のあるビルは私鉄の駅と直結していて、その渡り廊下に毎朝警備員が立っている。駅から降りてくる大量の人によって、これから駅に向かう人が蹂躙されないようにだ、

警備員は「左側通行にご協力ください」と声を発しながら通路の右側に一人通れる分のスペースを確保する。

時には駅に向かう人が多くて、駅から出る人が少ない時は、通路の真ん中辺りに立ち、人の波によって立ち位置を調整する。

然し、同じ警備員が何日間も立つと、段々立ち位置を固定して動かなくなる。要するに「俺がルールだ」となってしまうのだ。

俺の左側を通れ!人数が多いとか少ないとかは関係ない、とでも言わんばかりにだ。

ことほど左様に、人間は自分がやっていることを自分と同一化していく傾向がある。

つまり、法の執行人は法と一体化してしまうのだ。

私は批評家が嫌いで、自分では何も生み出さないくせに、他人の生み出したものを評するのは無意味だと思ってきたが、批評家がその一方で芸術家であればいいのだし、審判は選手であれば、双方の立場がわかり、尊大な一体化の罠に落ちずに済むだろうと思うのだ。

これは示唆に富んだ話だと思う。

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